女子卓球選手として世界を舞台にご活躍され、2023年5月1日に引退を表明された石川佳純さん。
現役時代は日本代表選手としてオリンピックや世界選手権で多数のメダルを獲得し、ITTE世界ランキングでの最高位は3位。卓球界を牽引し続けた日本を代表する元アスリートです。

現役引退を表明した石川佳純さんの特集が放送されていました!
学生時代から現役時代への成長や活躍が特集されています!
是非、ご覧ください!
引用元:テレビ東京 卓球チャンネル 【秘蔵映像満載】石川佳純『かすみんSP』引退後「卓球ジャパン!」初登場!感動をありがとう!
今回は、幼少期から卓球に打ち込み続け、世界を相手に戦い続けた石川佳純さんの伝説エピソードをまとめさせて頂きました。
是非、最後までお楽しみください!
- 石川佳純さんの伝説エピソード9選!画像付きでご紹介!
- 伝説エピソード① 幼少期 負けず嫌いが強さの秘訣!? 将来のプレイスタイルに影響与えたかもしれない幼少期の性格とは?
- 伝説エピソード② 小学生時代(低学年)娘は卓球の天才だった!!元国体選手の母も認めた、石川佳純さんの才能とは!?
- 伝説エピソード③ 小学生時代(高学年)「愛ちゃん2世」と呼ばれるまでに成長した石川佳純さん!母の現役引退を決意させた親子対決や年上選手を次々と倒していた!
- 伝説エピソード④ 中学生時代 中学2年生で全日本選手権ベスト4! 世界選手権にも出場し、トップ選手の仲間入りを果たす!
- 伝説エピソード⑤ 高校生時代 高校生で全日本選手権女子シングルス優勝! インターハイ・国体・選抜・全日本ジュニアの国内4大会を完全制覇!
- 伝説エピソード⑥ 2012年ロンドンオリンピック 日本卓球界の快挙を達成! 女子シングルス日本卓球界史上最高のベスト4入り! 女子団体戦では日本卓球界史上初の銀メダル獲得!
- 伝説エピソード⑦ 2016年リオデジャネイロオリンピック 女子シングルスでまさかの初戦敗退してしまった石川佳純さん。ひどく落ち込んでしまった彼女を支えたサポートメンバーと見事な復活劇!
- 伝説エピソード⑧ ベテラン選手時代 成長した若手の後輩選手たちと東京オリンピック・女子シングルス代表をかけ、戦いの日々!まさに卓球女子戦国時代を勝ち抜いた石川佳純さんの強さとは!
- 伝説エピソード⑨ 2021年東京オリンピック 日本選手団・副主将を務め日本代表選手を牽引!女子団体戦で3大会連続のメダル獲得に大きく貢献する!
- 選手時代の石川佳純さんの全盛期は一体、いつだったのか?この時期ではないかと思うものを3つピックアップして考察してみました!
- 引退後の石川佳純さんの活動「石川佳純47都道府県サンクスツアー」についてご紹介!
- まとめ
石川佳純さんの伝説エピソード9選!画像付きでご紹介!

- 山口県 山口市平川小学校
- 大阪府 四天王寺羽曳丘中学校
- 大阪府 四天王寺高校
- 神奈川県 木下アビエル神奈川
石川佳純さんは元卓球選手のご両親のもと、2人姉妹の長女として誕生しました。妹・梨良さんも7歳から卓球を始め、青山学院大学で女子卓球部の主将、姉と同じTリーグ・木下アビエル神奈川にも所属していた元アスリートです。


ご両親も実業団でのプレー経験を持ち、妹・梨良さんも大学卒業まで女子卓球界でご活躍されていたとのこと。
石川佳純さんはまさに「卓球一家」で育ったんですね!
引退後の妹・梨良さんは姉・佳純さんのサポートに回っていたそうで、姉妹の絆も深く、佳純さんにとって梨良さんは自分を支えてくれる大切な存在なんだと感じました。

元卓球選手のご両親の影響で、小学1年生から本格的に卓球を始めた石川さんは驚くべき才能を発揮。たった3カ月で全日本選手権(バンビの部)山口県予選を2位で通過。本戦でもベスト64に入ってしまったそうです。
この結果を受けてご両親は、娘に卓球の才能があることを確信し、自宅に卓球場を作ってしまいました。

小学6年生の時に出場した全日本卓球選手権女子シングルスでは、5歳以上年が離れた高校生と大学生相手に勝利。3回戦まで勝ち上がり、石川佳純さんは「愛ちゃん2世」としてメディアに取り上げられ、世間の注目を浴びるようになりました。

小学校を卒業した石川佳純さんは地元・山口県を離れ、大阪府の中学校へ進学し、寮生活をスタート。女子卓球界のスター選手・福原愛さんが在籍していたミキハウスJSC卓球部へ入部し、中学2年生で出場した全日本卓球選手権ではベスト4、進出世界選手権にも女子ダブルス代表として、史上最年少で選出されました。


中学生になった石川さんは地元を離れ、卓球をより打ち込む環境へと進んで行ったんですね!
この頃の将来の目標はいったいどんなものだったのでしょうか?
オリンピックに出場?全日本選手権シングルスでの優勝?気になりますね!
高校生になった石川佳純さんは、1年生で全国高校総体卓球シングルスで優勝。インターハイ・国体・選抜・全日本ジュニアの国内4大会を完全制覇。2012年ロンドン五輪にも出場を果たしました。
ロンドンオリンピックでは、個人で日本卓球史上最高の4位に入賞を果たし、団体戦でも福原愛さん・平野早矢香さんと共に戦い、五輪の舞台で日本卓球史上初となる銀メダルを獲得しました。


ロンドンオリンピックでの女子卓球団体戦の銀メダル獲得は、日本全体に大きな喜びを与えていましたね!
当時、私自身もテレビの前で大いに盛り上がっていた記憶があります。
今振り返ると当時、高校生でロンドン五輪に出場され、個人戦・団体戦で大活躍を見せた石川さんが、日本女子卓球界を牽引していく立場になって行ったのは、この頃からだったのではないでしょうか。
高校卒業後は大学へは進学せず、卓球に専念し、2013年度から2015年度の全日本卓球選手権女子シングルスでは3連覇。2015年1月のITTE卓球世界ランキングでは4位に浮上。日本女子卓球界のエースの地位を確立していきます。
2016年に迎えたリオデジャネイロオリンピックでは、女子シングルスと団体戦の代表選手として出場。
女子シングルスでは第4シードとして3回戦から出場するもキム・ソンイ選手(北朝鮮)と対戦。初戦で敗退してしまいましたが、団体戦では気持ちを切り替え、全ての試合シングルスで出場。全試合勝利という大活躍を見せ、オリンピック2大会連続のメダル獲得に貢献しました。


ロンドンオリンピックからも大きく成長し挑んだリオデジャネイロオリンピック。
個人戦でもメダル獲得を狙っていた思われますが、まさかの初戦敗退。
インタビューでとても落ち込んだとお話しされていましたが、いったいどんな気持ちで、どんなことを考えていたのでしょうか?
きっと相当悔しかったのではないかと思います。

しかし石川さんが凄いところは、数日の間に気持ちの切り替えが出来たことですよね!
いったいこの数日間の間にどのように気持ちを切り替えたのでしょうか?
どのように気持ちが切り替わったかは、石川さん自身がインタビューで語っていました!
語っていた内容は、エピソード編にてご紹介させて頂きたいと思います!
2016年に入ると現在、現役選手としてご活躍されている伊藤美誠選手・平野美宇選手・早田ひな選手など若手選手たちが台頭してきました。
2016年度全日本卓球選手権女子シングルスでは、決勝で平野美宇選手に敗北。2017年度の全日本卓球選手権女子シングルスでは準決勝で伊藤美誠選手と対戦し、敗北してしまいます。


今までは先輩たちを追う立場として走り続けてきた石川佳純さんでしたが、2016年以降は後輩たちに追われる立場になっていったようです。
後輩たちが石川さんを目標に挑んでくる、乗り越えて行こうとするプレッシャーはどのように感じていたのでしょうか?
きっと色々な葛藤や苦悩もあったのではないかと思います、
2019年度は東京オリンピックシングルへの代表選考基準をめぐり、平野美宇選手と世界ランキングを争っていたが、2020年1月の世界ランキングで日本人2位以内が確定し、東京オリンピックで女子シングルス・団体での代表に内定しました。

東京オリンピック卓球女子シングルスの代表をかけた石川さんと平野美宇選手の代表争いは当時、メディアにも多く取り上げられ、話題を呼んでいましたね!
石川さんは激しい代表争い中、シングルスと団体戦代表の座を勝ち取りました!
代表争いをしている中や代表を勝ち取った瞬間の心境は一体、どんな気持ちだったのでしょう?
気になりますね!
2021年1月(2020年度)の全日本卓球選手権女子シングルスでは、決勝で当時、卓球日本女子のエース・伊藤美誠選手と対戦。見事逆転勝利を果たし、2015年度大会以降、5度目の優勝を収めました。

同年に行われた東京オリンピックでは、日本選手団の副主将を務め、卓球女子シングルと団体戦に出場。卓球女子シングルスでは、準々決勝で敗退してしましましたが、団体戦では銀メダルをを獲得し、3大会連続のメダル獲得しました。

そして2023年5月1日、自身のインスタグラムにて現役引退を表明されました。

2023年4月までずっと卓球界の最前線でプレーをし、日本卓球界を牽引し続けた石川佳純さん。
本当にお疲れさまでした。
今回は石川佳純さんの幼少期から現役時代の伝説エピソードを画像付きの早見表で、一挙にご紹介させて頂きます!
伝説エピソード① 幼少期 負けず嫌いが強さの秘訣!? 将来のプレイスタイルに影響与えたかもしれない幼少期の性格とは?

石川佳純さんの幼少期の性格は、負けん気の強い性格だったそうで、その負けん気の強さが現在のプレースタイルにも影響を与えているのでは?と言われています。

負けん気の強い性格ということは、幼い頃からかけっこやお勉強なども「お友達に負けたくない!」「一番になりたい!」と思うお子さんだったのではないでしょうか?
人に負けないよう、たくさん頑張る少女時代を過ごしていたような気がしますね!
石川さんは幼少期は山口市内の山口天使幼稚園に通っていて、柔道男子73キロ級金メダリストの大野将平さんと同じ幼稚園のご出身だそうです。

大野将平さんは1つ上の先輩だったそうで、担任の先生も同じだったとのこと。
2016年のリオデジャネイロオリンピック後の山口市で行われたパレードで一緒になり、思い出話に花を咲かせていたそうです。

幼稚園時代の交流はなかったそうですが、大人になり、2人ともメダリストとして再会するというのはとても凄いことですね!
2人とも幼稚園時代から「オリンピックに出たい!」という気持ちがあったのでしょうか?
気になりますね!
当時の石川さんはクラシックバレエやピアノ、水泳も習っていたそうですがどれも続かず、卓球以外は長続きしなかったそうです。

クラシックバレエやピアノ、水泳と様々な習い事されていたようですが、「やっぱり卓球が一番たのしい!」と感じていたのではないでしょうか?
特に球技である卓球は勝ち負けもはっきりしているので、負けん気の強かった少女時代の石川佳純さんには打ち込むきっかけになったのかもしれませんね!
伝説エピソード② 小学生時代(低学年)娘は卓球の天才だった!!元国体選手の母も認めた、石川佳純さんの才能とは!?

石川佳純さんが本格的に卓球を始めたのは、7歳のお誕生日にご両親から卓球のユニフォームをプレゼントして頂いたのがきっかけだったそうですが、ご両親は石川さんの恐るべき才能を目の当たりになりにすることになります。
なんと卓球を始めてからたった3ヶ月で全日本選手権(バンビの部)山口県予選を2位で通過、本戦でもベスト64に入るという快挙を成し遂げてしましました。

いくら元・国体選手のお母さんの指導があったとはいえ、たった3カ月で県予選を2位通過し、全国大会に駒を進めたというのは驚きです!
きっとご両親も「娘には将来、卓球で世界を舞台に戦える才能がある!」と確信させる出来事だったのではないでしょうか!
実際に石川佳純さんのご両親はこの結果を受けて、「娘には卓球の才能がある!」と確信されたそうで、なんと自宅に卓球場まで作り、娘がいつでも卓球に打ち込める環境を用意してしまいました。
小学生時代の石川さんは、放課後は母の指導する「山口ジュニアクラブ」で練習し、帰宅後は自宅の卓球場で母と自主練習。土日には各地の大会に出場して実践経験を積み、どんどん実力を伸ばしていきました。

卓球を始めたばかりの段階で娘の才能にいち早く気付き、娘の為、卓球に打ち込める環境をすぐに用意したご両親もさすがですね!
娘を信じていないと中々できないことだと思います!素敵ですね!
伝説エピソード③ 小学生時代(高学年)「愛ちゃん2世」と呼ばれるまでに成長した石川佳純さん!母の現役引退を決意させた親子対決や年上選手を次々と倒していた!

母・久美子さんの指導の下、練習に練習を積み重ねていた石川佳純さんは、小学5年生の頃、実業団に所属し、国体にも出場経験のある母との親子対決で、見事に勝利してしまいます。
そして母・久美子さんは、この親子対決をきっかけに現役を引退を決意したそうです。

ついに自分を超えた娘の成長を目の当たりにしたお母さんは、とても晴れやかでうれしい気持ちを持って引退されたのではないでしょうか?
娘の成長が楽しみで「これからももっとサポートに専念したい」「応援したい」という親心を持っていたのではないかと思います!
そして小学6年生の頃、全日本卓球選手権女子シングルスに出場し、5歳以上年が離れた高校生、大学生に勝利、3回戦まで勝ち上がりました。
この快挙をきっかけに石川佳純さんは「愛ちゃん2世」と呼ばれるようになり、メディアに出演する機会が増え、世間の注目を浴びるようになります。

この頃から受けた取材の時には「オリンピックに出たい!そして金メダルを取る!」と将来の目標を見据えていたようです。

小学6年生ですでに恐るべき成長を遂げていた石川佳純さん!
当時、注目のスター選手だった福原愛さんの2世として話題になっていましたね!
私もお茶の間で「愛ちゃんのような凄い子がいるんだなぁ」と思いました。
世間の皆さんもこれからの石川さんがどのような活躍を見せてくれるかとても楽しみだったのではないかと思います!
伝説エピソード④ 中学生時代 中学2年生で全日本選手権ベスト4! 世界選手権にも出場し、トップ選手の仲間入りを果たす!

小学校を卒業した石川佳純さんは、地元・山口県を離れ、全国屈指の卓球強豪校・大阪府四天王寺羽曳丘中学校へ進学しました。
当時卓球界のスター選手・福原愛さんも所属していたミキハウスJSC卓球クラブに入部し、チームメイトと寮生活をスタートさせます。


より卓球に打ち込める環境を求めて、全国屈指の強豪中学と名門卓球部への道を進んで行った石川佳純さん!
12歳の少女が親元を離れ、より高みを目指すのは、「もっと強くなりたい!」という思いがとても強かったように感じますね。
中学に進学してからも着実に実力を伸ばしていった石川佳純さんは中学2年生で出場した全日本卓球選手権大会で史上最年少でのベスト4入りを果たします。
さらに世界選手権にも史上最年少でダブルス代表として選出され、中学生の頃から日本のトップ選手選手の仲間入りを果たしていました。
世界選手権にダブルス代表として選出された石川さんは、世界の壁の高さを経験し、自身も非常に良い経験になったそうです。

中学生の頃から日本代表選手として活躍し、世界を相手に戦うなんて当時から別格の存在だったのでしょうね!
数々の史上最年少記録を打ち立て続ける石川佳純さん!本当に凄いです!!
中学3年生で迎えた全日本選手権シングルスでは2年連続でベスト4入りを果たし、同年の2月の世界選手権団体メンバー(5人)にも選ばれています。
伝説エピソード⑤ 高校生時代 高校生で全日本選手権女子シングルス優勝! インターハイ・国体・選抜・全日本ジュニアの国内4大会を完全制覇!

中学を卒業した石川佳純さんは同じ大阪府内の強豪校・四天王寺高校へと進学します。
この時すでに高校生離れした実力を持っていた石川さんは、まだ1年生だったにも拘わらず、同校の先輩でもある藤井優子選手を破り全国卓球総体シングルスで優勝。
インターハイ・国体・選抜・全国ジュニアも優勝。
国内の4大会を完全制覇はしたことは当時、前例のない快挙でした。

石川佳純さんは高校1年生で既に同世代では飛び抜けた実力を持っていたことが伺えますね!
この時期の石川さんはどんな気持ちだったのでしょう。
同世代から追われるプレッシャーを感じていた?それとも更なる高みを目指していた?
将来、世界を舞台に戦う石川さんはこの時期にはもっと強くなることを目標としていたような感じがしますね!
また石川佳純さんは当時、16歳で国際卓球連盟(ITTF)が発表する世界ランキングで99位に入り、同年の世界選手権女子シングルスに出場。
この大会での2回戦、相手は世界ランク10位チョウ・ガナ選手(香港)と対戦します。

世界ランク10位と圧倒的格上の選手との対戦に試合は3ゲームを先取され、さらに第4ゲームも3-9と絶体絶命の状態に。
しかし、石川佳純さんはこの点差から7連続ポイントで逆転。残りの3ゲームも勝ち取って奇跡的な大逆転勝利を果たします。
この劇的な勝利を振り返った石川さんは「自分の持っている力以上プレーが出来たっていうのは凄くうれしかった」と語っていました。

試合をあと2点取られたら負けてしまうという状況からの大逆転勝利を収めた石川さん!
絶体絶命の状態から試合をひっくり返すほどのメンタルの強さは、幼少期からの負けん気の強さが影響しているのかもしれませんね!
その後も準々決勝まで勝ち進み、福原愛さん以来のベスト8入りする快挙を成し遂げました。
伝説エピソード⑥ 2012年ロンドンオリンピック 日本卓球界の快挙を達成! 女子シングルス日本卓球界史上最高のベスト4入り! 女子団体戦では日本卓球界史上初の銀メダル獲得!

高校3年生で迎えた全日本選手権では女子シングルスで初優勝に輝いた石川佳純さんは同年の世界選手権終了後に世界ランキングで、ロンドンオリンピック女子シングルスへの出場が決定します。

ついに全日本選手権女子シングルスで優勝した石川さん!
名実ともの若き日本のエースとしてオリンピックの舞台に立つことになるんですね!
石川さんは2012年に行われたロンドンオリンピックに女子シングルスと団体戦に出場し、初出場とは思えない快進撃を見せます。
日本中の期待を背負い挑んだ女子シングルスでは、石川さんは第4シードとして3回戦から出場。初めてのオリンピックの舞台に臆することなく、世界の強敵相手に順当に勝ち上がり、準決勝まで駒を進めます。
準決勝・3位決定戦には敗北してしまい、惜しくもメダルには届かなかったものの、日本勢初となるベスト4入りを果たしました。

あと一歩、メダルを獲得できなかった石川さん。本当に惜しかったです。
しかし個人で戦った女子シングルスで、ここまでの好成績を残したことは本当に素晴らしいですね!
シングルスでの石川さんの大活躍が、後に行われた団体戦への勢いに繋がったのかもしれませんね!
続く女子団体戦では福原愛さん・平野早矢香さんと共に出場。先輩たちと力を合わせながら準決勝まで勝ち上がります。
準決勝の相手はシンガポール。石川さんにとって女子シングルス3位決定戦で敗れた相手も出場する強敵です。
石川さんは第2試合のシングルスと第3試合のダブルスに出場。
シングルス・ダブルス共に3-0と相手を圧倒し、日本卓球界史上初のメダルを獲得しました。


メダルを確定させた時、日本中が歓喜に沸いていましたね!
私もテレビの前で興奮したのをよく憶えています。
きっと日本中の皆さんが大喜びし、3人の活躍に元気づけられたのではないでしょうか?
続く決勝戦では中国と対戦。ゲームカウントは3‐0と敗北してしまいましたが、日本卓球界の悲願を銀メダル獲得という形で叶えました。
伝説エピソード⑦ 2016年リオデジャネイロオリンピック 女子シングルスでまさかの初戦敗退してしまった石川佳純さん。ひどく落ち込んでしまった彼女を支えたサポートメンバーと見事な復活劇!

高校を卒業した石川佳純さんは大学への進学はせず、卓球に専念する道を選択します。
国内外の数々の大会に出場、その実力をさらに伸ばしていき、2013年度から2015年度の全日本選手権女子シングルスを3連覇し、2015年1月の世界ランキングは自己最高の4位まで上り詰めました。

全日本選手権で3連覇するほどに強く成長した石川さん。まさに国内最強の女子卓球選手となりましたね!
きっとリオ五輪ではシングルス・団体ともにメダル獲得を狙っていたのではないでしょうか?
また前回大会以上に日本中からの期待も背負って戦いに挑んでいたと思います。
2016年に開催されたリオデジャネイロオリンピックでは女子シングルスと団体戦に出場した石川佳純さん。ここでまさかの事態に襲われてしまします。
女子シングルスの第4シードとして3回戦から登場した石川さんはキム・ソンイ選手(北朝鮮)と対戦。フルセットの激闘の末に敗北してしまいました。

この予想だにしない結果に石川さんは、ひどく落ち込んでしまいました。なんと大会中にも拘わらず、日本選手用のホテルに3日間も閉じこもってしまったそうです。

日本中が石川さんに期待していただけに初戦敗退も驚いてしまいましたが、何より石川さんご本人がとても悔しかったんだと思います。
ロンドン五輪から4年間、リオ五輪を目標に努力されていたでしょうから…。
この気持ちをどうやって切り替え、団体戦銅メダル獲得までの結果に繋げたのか気になりますね!
落ち込んでしまった石川さんは日本選手団の関係者からたくさんの励ましやサポートを受け、なんとか気持ちを団体戦へ切り替えていきます。
特に気持ちが切り替わったきっかけが、近くにあったアシックスハウスというところへ関係者のみなさんと行き、カラオケでいきものがかりの「ジョイフル」をみんなで歌って気持ちが切り替わったと語っていました。
気持ちの切り替わった石川さんは、団体戦では1回戦から3回戦まで、全ての試合をシングルスで出場。全試合勝利と日本のエースとして大活躍し、オリンピック2大会連続のメダル獲得に貢献しました。

気持ちを切り替え、団体戦に挑んだも心の強さもさすがですが、そこから全試合勝利という快進撃を見せた石川さん。
ここでも「幼少期からの負けん気の強さ」で試合を勝ち抜いたのかもしれませんね!
石川さんはリオデジャネイロオリンピックを振り返り、「悔しさとかはやっぱり残りましたけど、でもメダルを獲れたこと。団体戦でしっかりメダルを獲れたこと、団体戦で持ち直して負けなかったこと。それは自分が喜んでもいいし、誇りに思ってもいいのかなっていう風に思うことが出来ました」と語っていました。

また女子団体の試合中、石川さんが話題になった可愛らしいエピソードがありますのでご紹介させて頂きます。
それは女子団体準決勝「日本対ドイツ」の試合、2-2で迎えた最終戦女子シングルス「福原愛さん対イン・ハン選手」との試合中での出来事です。
石川さんが大きな声で「がんばれー!!」と福原さんの応援をしていたところ、審判員に「試合中の選手へのアドバイス」と思われてしまい、退場になってしまいました。

しかし退場してからも監視役の審判員と笑顔を交わしながら、精一杯応援する石川さんの姿に「可愛すぎる!」と話題になりました。

退場してからで応援する石川さん。とても可愛いですね!
きっと福原さんも石川さんの応援が励みになっていたと思います。
伝説エピソード⑧ ベテラン選手時代 成長した若手の後輩選手たちと東京オリンピック・女子シングルス代表をかけ、戦いの日々!まさに卓球女子戦国時代を勝ち抜いた石川佳純さんの強さとは!

2016年頃になると石川佳純さんを目標に成長してきた伊藤美誠選手や平野美宇選手、早田ひな選手など後輩選手たちがメキメキと頭角を現していきます。
今まで福原愛さんや平野早矢香さんなど先輩選手の背中を追い続け、共に世界で戦ってきた石川さん。この時期からは若手選手たちに追われ、日本代表の座を争う立場へと状況が変わっていきました。

4連覇の掛かった全日本卓球選手権女子シングルスでは決勝戦まで勝ち進むも、平野美宇選手に敗れ準優勝。
続く翌年の全日本卓球選手権女子シングルスでも準決勝で伊藤美誠選手に敗北してしまい、2011年から続いていた決勝進出記録も7で止まってしまいました。

石川さんは2017年には世界ランキング自己最高の3位まで浮上し、世界トップレベルの選手として活躍していたにも関わらず、国内大会で勝ち切れないほど力のつけてきた後輩選手たち。
2度のオリンピックメダル獲得が日本卓球界が大きく成長させていることが伺えますね!
日本卓球界としては嬉しいことですが、石川さんの心の中はどんなお気持ちだったのでしょう。
中々勝ちきれないことの苦しい、悔しいというお気持ちだったのでしょうか?
それとも先輩選手として後輩選手たちの成長を嬉しく思い、頼もしく感じていたのでしょうか?
きっと色々な気持ちがあったと思います。
2018年10月に国内でTリーグが始まり、石川さんは神奈川県のチーム「木下アビエル神奈川」に所属することになります。

2019年の世界選手権では吉村真晴選手と混合ダブルスを組み、準優勝。3大会連続でのメダル獲得になりました。
またこの時期は、東京オリンピック卓球女子シングルス代表をかけてた戦いに注目が集まっていました。相手は国内大会でも何度も対戦し、一緒にダブルスを組んで世界大会にも出場した平野美宇選手。

代表選考基準をめぐり、世界ランキングを争っていましたが、2020年1月の世界ランキングで石川さんの日本人2位以内が確定。東京オリンピック・卓球女子シングルスと団体戦の代表に内定しました。

この当時、2人の代表争いが、メディアで大きく話題になっていたのをよく覚えています。
石川さんはこの時、どんな気持ちで選考争いに立ち向かっていたのでしょう。
2020年のオリンピックは東京開催とのことで、石川さんを始め、日本人アスリートたちの「出場したい!」という気持ちがとても伝わって来ていましたね!
石川さんも同じようなお気持ちだったのでしょうか?
2021年1月、2020年度全日本選手権女子シングルスでは、東京オリンピックシングルスで共に出場する伊藤美誠選手対戦。苦戦を強いられながらも見事に逆転勝利を果たし、2015年度大会以来、5度目の優勝を掴み取りました。


近年、国内のレベルが上がり、あと一歩で優勝を逃していた石川さん。
両手を天に突き上げ、ガッツポーズをする姿は優勝の喜びと今までの苦労を物語っているように私は感じました。
優勝おめでとうございます!!
石川さんにとって5度目の全日本選手権で優勝できたことは東京オリンピックへの大きな自信へと繋がったのではないでしょうか!

また、石川佳純さんの全日本選手権4連覇を阻止した平野美宇選手についてのエピソードも下記のリンクからご覧頂けます!
石川佳純さんのエピソードと合わせて、是非ともご確認ください!
伝説エピソード⑨ 2021年東京オリンピック 日本選手団・副主将を務め日本代表選手を牽引!女子団体戦で3大会連続のメダル獲得に大きく貢献する!

石川佳純さんは今までの各大会やオリンピックでの活躍を認められ、東京オリンピックでは日本選手団の副主将を務めることになります。
副主将のオファーを頂いた時の石川さんは「お話を頂いた時は、すごくびっくりしました。本当に光栄なことだなと思いましたので、喜んでお受けさせていただきました」と語っています。
また、副主将を務める豊富として「オリンピックという舞台は私たち選手にとって特別な舞台。さらに東京オリンピックという舞台は私たち日本選手にとって本当に特別な舞台。そこで、このような副主将という大役を頂けることはありがたいことですし、頑張りたいと思います」とお話しされていました。

今まで2度ものオリンピックを経験し、メダルも獲得した経歴が評価され、副主将に任命された石川さん。
卓球界だけでなく、東京オリンピックに出場する日本選手を牽引する立場まで上り詰めてしまいました。
まさに石川さんが日本中の人々から愛され、応援されている証なのかもしれませんね。
今回の東京オリンピック卓球女子チームで、石川さんは最年長。オリンピックを2度経験し、福原愛さん・平野早矢香さんが担ってきた「チームの大黒柱」を東京オリンピックでは石川さんが見事に努めます。
女子シングルスに出場した石川さんは3回戦から出場。準々決勝まで勝ち進み、相手は世界ランク47位の選手でしたが、石川さんが苦手と語るタイプの選手。
試合は1ゲームを先取するもその後4ゲームを連続で取られてしまい敗北。新聞各社とのミックスゾーンでの取材の際は涙を我慢できず、言葉を詰まらせる場面もあったそうです。

上手くゲームを運べず、悔しい敗戦になってしまったシングルス。
今大会は初の個人メダルも狙っていたそうですがその思いは届かなかったようです。
しかし、団体戦へのコメントを求められると「主将として気持ちを切り替えてやらなければいけない。団体戦の練習もたくさんしてきた。全てコートにぶつけたい」と心強く語っていました。
また、リオ五輪の時のように団体戦で大活躍して欲しいですね!

続く団体戦では1回戦・準々決勝と3-0で勝ち進み、メダル獲得をかけ、香港と準決勝を戦いました。
石川さんは1番手から平野美宇選手とダブルスを組んで出場。石川さんが安定したレシーブで支え、平野選手が鋭い攻撃を繰り出す展開で香港ペアを圧倒します。

平野選手も「石川さんが声をかけてくれるから、自信を持って戦える」と話していて、石川さんがプレーだけでなく、平野選手の心の支えになっていることが伺えますね!
ゲームカウント3-0日本ペアが勝利し、勢いのまま挑んだシングルスでは、伊藤美誠選手・平野美宇選手が大活躍プレーを連発し、日本女子チームが3-0で勝利。メダル獲得を確実にし、決勝へと駒を進めました。
続く決勝戦、絶対王者・中国に果敢に挑みますが、3-0で敗北。ロンドンオリンピック以来の銀メダル獲得となりました。


団体銀メダルを獲得した3人の笑顔がとても素敵ですね!
3大会連続のメダル獲得、本当におめでとうございます!!
そして2023年5月1日、石川佳純さんは自身のインスタグラムにて現役引退を発表。
「本日5月1日、引退することをご報告致します。皆さま、沢山の応援を本当にありがとうございました!」と投稿されました。
また5月19日には引退会見が開かれ、石川さんは「引退を決意した理由は自分自身、やりきったと思えたからです。今日はとても晴れやかな気持ちです。笑顔で今日を迎えられたことを嬉しく思っています」とお話をされていました。


引退会見では「素晴らしいファンの皆さんに恵まれたことは幸せなこと」と今まで応援してくれたファンの皆さんにとても感謝されていて、石川さんの人柄の良さが伺える会見でした!
石川さんは今後も「サンクスツアー」という子どもたちへ卓球の魅力を伝える活動を行っていくそうです!
その子供たちの中から将来、石川さんのような名選手が現れることを期待してしまいますね!
選手時代の石川佳純さんの全盛期は一体、いつだったのか?この時期ではないかと思うものを3つピックアップして考察してみました!
2023年5月1日で現役引退した石川佳純さんですが、選手時代の全盛期は一体、いつだったのでしょうか?
この時期ではないか?と思うものを3つピックアップしてみました。
- 2014年~2016年 全日本卓球選手権女子シングルスで3連覇を成し遂げていた時期
- 2018年 自己最高の世界ランキング3位だった時期
- 2021年 全日本卓球選手権女子シングルスで5度目の優勝を果たした時期
この3つの時期のどれかではないかと思い、考察して参ります。
2014年~2016年 全日本卓球選手権女子シングルスで3連覇を成し遂げていた時期

2014年から2016年の全日本卓球選手権女子シングルスで3連覇を成し遂げていた時期の石川佳純さん。
2011年からも6年連続で決勝へ進出していることなどから、「石川佳純の一強時代到来ではないか?」と噂されるほどの強さを誇っていました。

3年連続優勝!6年連続決勝戦進出!と無類の強さを見せていた石川佳純さん。
まさに「国内に敵なし」、「石川佳純の一強」と言われていても可笑しくない立派な成績ですね!
2018年 自己最高の世界ランキング3位だった時期

2018年3月に発表された世界ランキングで石川佳純さんは最高位の3位まで浮上します。この時期の石川佳純さんもとても強く、世界大会でも活躍していました。
しかし日本女子卓球界のレベルも上がっており、同時期に伊藤美誠選手が5位、平野美宇選手が6位。20位以内に入る選手が7人もいる黄金期に入っていて、石川さんが国内大会で勝ち切れない苦しい時期と直面していた時でもあります。

世界ランキング3位という最高順位は世界的に石川さんがとても強いことを表しています。
しかし日本卓球界全体のレベルが大きく向上していた為、国内大会で負けが続いた時期でもありますよね。
全盛期と呼べる時期だったのか…。悩ましいですね。
2021年 全日本卓球選手権女子シングルスで5度目の優勝を果たした時期

全日本卓球選手権女子シングルスでは、2015年以降から伊藤美誠選手、平野美宇選手、早田ひな選手といった2000年生まれの黄金世代に行く手を阻まれ、優勝を逃してきた石川佳純さん。
2021年大会では、決勝戦で伊藤美誠選手と4-3のフルセットの激闘を制し、5度目の優勝を果たしました。東京オリンピックを共に戦うことになる平野美宇選手にはシングルス選考争いを勝ち抜き、伊藤美誠選手には全日本選手権で勝利。
東京オリンピックを前に「日本代表選手で一番強いのは石川佳純だ!」と思わせるような活躍をみせました。

東京オリンピックを前に、石川さんが卓球歴20年を超える“ベテランの力”を見せつけ、黄金世代を抑えて勝ち切った、この時期こそ全盛期だったのではないでしょうか?
以上、3つの時期をピックアップさせて頂きましたが、どれも素晴らしい功績で甲乙つけがたいですね。
正直、ずっと全盛期ではないかと感じさせるような素晴らしい活躍をみせていた石川さん。
読者の皆さんはいつが全盛期だと思いましたか?是非、一緒に考察してみましょう。
引退後の石川佳純さんの活動「石川佳純47都道府県サンクスツアー」についてご紹介!

石川佳純47都道府県サンクスツアーとは、今まで卓球を通じて経験した「卓球の魅力」「スポーツの楽しさ」を全国各地の子どもたちとの交流を通して、その思いを伝える活動で、今まで京都や福岡など様々な地域で活動を行っています。
詳しくは「石川佳純47都道府県サンクスツアー」のホームページなどで開催レポート紹介やお知らせ、お問い合わせができるようです。
また、石川佳純さんのYouTubeチャンネル「石川佳純のかすみんchannel」でもサンクスツアーの様子や石川佳純さんの活動を見ることが出来ます。
引用元:石川佳純のかすみんchannel 石川佳純47都道府県サンクスツアーの模様を初公開!

自ら卓球教室を開き、全国に自ら足を運んで卓球の魅力を伝えている石川さん。
YouTubeチャンネルでも、笑顔溢れる素敵な石川さんを見ることが出来ます。
動画では、卓球教室の子供たちと笑顔で触れ合いっていて、みんなとても楽しそうですね!
石川さんを目標に「強くなりたいです!」と答えている子もたくさんいたので、将来サンクスツアーに参加した子たちの中から、世界を舞台に戦う選手が現れるかもしれませんね!

また引退後の石川さんは、卓球を広める活動以外にもテレビ出演や雑誌の取材など、現役時代には中々できなかったメディアへの出演も多数されています。
今後のご活躍もまだまだ楽しみですね!
まとめ
今回は、【画像48枚】石川佳純の若い頃の伝説エピソード9選!母も衝撃!娘は卓球の天才だった!幼少期から現役時代の活躍を徹底解説!と題しましてお届けさせて頂きました。
石川佳純さんは、卓球を始めてたった3カ月で山口県予選を勝ち抜き、全日本選手権(バンビの部)に出場してしまうほどの卓球の天才児で、それからも同世代ではトップを走り続け、日本卓球界を牽引して、日本卓球界3年連続メダル獲得の立役者を務めた卓球界のレジェンドであることがわかりました。
2023年5月に現役生活を終えてからも日本卓球界をサポートし、子どもたちに卓球の魅力・楽しさを伝える活動を続けている石川さんが今後もますますご活躍されることを期待しています。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。