男子バスケットボール「Bリーグ」でご活躍され、2023年FIBAバスケットボールワールドカップにも日本代表選手として出場された比江島慎選手。
現在、Bリーグ「宇都宮ブレックス」に所属し、2021-2022シーズンはチームのエースとしてリーグ優勝に導き、チャンピオンシップMVPを受賞しました。
2023年8月25日より開催されたFIBAバスケットボールワールドカップ2023では、シューティングガード(SG)として全試合に出場。17年ぶりの歴史的勝利となった1次リーグ2戦目・フィンランド戦では世界大会での連敗を11で止め、順位決定リーグ・ベネゼエラ戦では、比江島選手の大活躍で日本の窮地を救い、自力では48年ぶりとなるオリンピック出場を果たしました。
順位決定リーグ・ベネゼエラ戦は第4Qで最大15点差をつけられ、窮地に追い込まれてしまったAKATSUKI JAPAN。
もう絶対絶命の中、第4Qだけで17点の得点を上げチームを勝利に導いた比江島選手の活躍が特集されていました!
3Pシュートを連続で決める姿はめちゃくちゃカッコいいです!
是非、ご覧ください!
引用元:日テレスポーツ【公式】
今回は、日本を代表するバスケ選手・比江島慎選手の子供の頃から「天才」と呼ばれ続けた伝説のエピソードをまとめさせて頂きました。
是非、最後までお楽しみ下さい。
- 画像付き早見表で若い頃の伝説エピソードを振り返る!
- 比江島慎選手の要チェックポイントを調べてみました!
- 比江島慎選手の伝説エピソード10選!を画像付きでご紹介!
- 伝説エピソード① バスケに熱中した小学生時代 比江島選手の代名詞「比江島ステップ」は3歳年上の兄に勝つ為、身に付けた!6年生の時には、エースとして全国制覇を成し遂げる!
- 伝説エピソード② 強豪校で実力を伸ばした中学生時代 早朝から放課後まで練習漬けの毎日を送り「百道中に比江島慎あり」と言われるほどの注目選手へ成長!福岡県選抜に選出され、ジュニアオールスターで優勝をおさめる!
- 伝説エピソード③ 文武両道を目指した高校時代 偏差値70超えの進学校へと進み、文武両道を見事に実現!「天才」と呼ばれ、チームをウインターカップ3連覇に導く
- 伝説エピソード④ 日本代表を目指した大学時代 あえて厳しい環境に身を置き、己を高め続けた比江島選手!インカレで2連覇を果たし、4年生の時に日本代表へ選出される!
- 伝説エピソード⑤ スーパールーキーとして活躍した2013~2014年シーズン プロ入り1年目からNBL新人王を受賞し注目を集める!2013~2018シーズンまでアイシンシーホース三河の主力選手として活躍する!
- 伝説エピソード⑥ 海外へ挑んだ2018-2019シーズン オーストラリアリーグNBL、アメリカNBAサマーリーグへ挑戦するも、自身の魅力をアピールできず、日本へ帰国する。
- 伝説エピソード⑦ 海外から戻り宇都宮ブレックスに加入、2019-2020シーズンをチームの主力選手として活躍し、FIBAバスケットボールワールドカップ2019に出場する!
- 伝説エピソード⑧ 世界に通用することが感じられた東京五輪 日本代表選手として45年ぶりのオリンピックに出場し、積極的にゴールを狙い続けた比江島選手!
- 伝説エピソード⑨ 宇都宮ブレックスのエースとしてチームを優勝に導いた2021-2022シーズン 自身もBリーグ・チャンピオンシップMVPを獲得する!
- 伝説エピソード⑩ 日本中を熱くさせたFIBAバスケットワールドカップ2023 パリ五輪を目指し、全試合主力選手として出場した比江島選手!格上フィンランド・ベネゼエラを相手に2ケタ得点の大活躍を見せた!
- 子供たちに夢を与え、バスケットボール人気の火付け役になった比江島選手
- まとめ
画像付き早見表で若い頃の伝説エピソードを振り返る!
比江島慎選手の若い頃のエピソードを画像付きの早見表にしてみました!掲載部分へ移動できますので、ご活用ください!
比江島慎選手の要チェックポイントを調べてみました!
比江島慎選手は1990年8月11日生まれで福岡県古賀市のご出身。比江島家の次男として誕生されました。
比江島家は母・敦子さんと3歳年上の兄・章さんとの3人家族で、母子家庭で育った比江島選手。
女手一つで兄弟を育てた母・敦子さんは、子どもたちに厳しく接しつつも、気配りに長け、比江島選手を誰よりも応援し、サポートしていた素敵なお母様でした。
母・敦子さんはプロ入りした比江島選手の為に2013年コンサルティングマネジメント会社“ステラリアン・バスケットボール株式会社”を設立。
スケジュール調整やグッズの販売、イベントの企画など、マネジメント業務を全面的にサポートしていたそうです。
そんな息子思いの優しいお母様でしたが2018年4月21日、突発的な心臓発作が起こり、57歳という若さで亡くなってしまいます。
あまりに突然の別れに悲しむ比江島選手でしたが、それでも試合に出場し続け、このシーズン、比江島選手はシーズンMVPを獲得し、授賞式でのスピーチでは、亡くなったお母様を思い出し、涙する場面もありました。
亡くなった日もいつものように連絡を取り合っていた比江島選手でしたが、帰宅するとすでにお母様は倒れていたそうです。
比江島選手の心中は、突然のことでとても動揺されたのではないでしょうか?
また突然の別れに、悲しみも大きかったのではないかと思います。
また比江島選手がバスケットボールを始めたことは3歳年上の兄・章さんの影響が大きいと言われています。
兄・章さんはスポーツ好きで小学4年生の頃からミニバスチームに入り、試合にも出場し、ご活躍されていました。
比江島選手は兄・章さんの試合観戦来ていた際に監督から「お前もやるか?」と声をかけられたことがきっかけでバスケットボールを始めたそうです。
小学生の頃は一緒に過ごす時間も多かったそうで、バスケだけでなく、ゲームで遊んだり、皿洗いや掃除、洗濯など家事のお手伝いも兄と当番制にして行っていたそうです。
幼い頃から2人でお母様の手伝いをしていた比江島兄弟。
そして厳しい子育てを行ていたという母・敦子さん。
2人には自立した大人に育ってもらう為、あえて厳しく接してきていたのではないかと思うのですが、皆さんはいかがでしょうか?
比江島選手は1on1の展開になった際、Bリーグ屈指の強さを誇ります。その強さの秘訣が「比江島ステップ」です。
「比江島ステップ」とは、緩急をつけた独特なリズムやフェイントなどで、相手を抜き去る1on1で無類の強さを見せる比江島選手の代名詞と呼ばれるステップです。
比江島ステップについてのわかりやすく動画で特集されていました。
是非、ご覧ください!
引用元:B.LEAGUE
1on1の展開で相手のディフェンスを困惑させ、抜き去る比江島選手!
持ち前の安定したシュート力に加え、Bリーグでも高い得点力を誇ります!
また試合中、勢いに乗り大量得点を重ねる場面がある比江島選手。
誰も比江島選手を止めることができない展開は「比江島タイム」と呼ばれ、対戦相手を翻弄し、見ている観客を魅了してしまいます。
特に伝説として語られているのが、FIBAバスケットボールワールドカップ2023・ベネゼエラ戦。
第4Qで最大15点差と絶体絶命のピンチでしたが、残り7分19秒から比江島選手1人で17点もの得点を上げ、チームの危機を救い、逆転勝利の立役者になりました。
冒頭でもご紹介しましたが、この時の比江島選手は神がかっていたと思います!
私もテレビの前で家族と熱狂し、シュートを決めると歓喜の声を上げていました(笑)
比江島選手は甘いマスクとシャイな可愛らしい性格、そして試合中に魅せるカッコイイ姿とのギャップで女性人気が高いイケメン選手です。
毎年2月14日に発表になるバレンタイン企画「B.LEAGUE モテ男 No,1 決定戦」にて、2018年は22265票という最多票を集め、比江島選手がBリーグNo,1モテ男の座に輝きました。
確かに比江島選手の素敵な笑顔と柔らかい性格、試合で相手を翻弄するスーパープレーとのギャップがたまらないですね!
女性人気が高いのも納得です!
だって、男性から見てもカッコイイですもん!
比江島慎選手の伝説エピソード10選!を画像付きでご紹介!
それでは比江島慎選手の若い頃の伝説エピソードを画像付きで、ご紹介させて頂きます!
伝説エピソード① バスケに熱中した小学生時代 比江島選手の代名詞「比江島ステップ」は3歳年上の兄に勝つ為、身に付けた!6年生の時には、エースとして全国制覇を成し遂げる!
比江島慎選手は3歳年上の兄の影響で6歳(小学1年生)の頃からバスケットボールを始め、地元のミニバスチーム「古賀ブレイス」に入団します。
クラブチームでの練習は月水金の21時~22時まで、土日も練習や試合の日々。
さらにミニバスが休みの日でも兄・章さんとバスケットゴールのある公園まで出かけて、1on1の決闘をしていたそうです。
小学生時代の比江島選手はバスケに熱中し、テレビもあまり見ず、ひたすらバスケの日々を送っていたそうです!
とにかくバスケが好きで、楽しくて仕方なかったという感じだったようです。
古賀ブレイスは監督・貫敏治さんが指導していて、バスケットの基礎から何もかも全て教わり、比江島選手のプレースタイルの原型はここで作られたと語っています。
中でも「比江島ステップ」は、当時から1on1が大好きだった比江島選手に向けて、貫敏治監督が指導した技術で、現在活躍する比江島選手の最大の武器となっています。
そして、小学6年生の頃にはチームのエースとして活躍し、ミニバスの全国大会で全国制覇を成し遂げました。
比江島選手の才能をいち早く見抜き、比江島選手にあった技術を指導した貫敏治監督。
相手を翻弄する比江島選手の必殺技「比江島ステップ」は貫敏治監督との出会いで生まれた技術だったことがわかりました!
伝説エピソード② 強豪校で実力を伸ばした中学生時代 早朝から放課後まで練習漬けの毎日を送り「百道中に比江島慎あり」と言われるほどの注目選手へ成長!福岡県選抜に選出され、ジュニアオールスターで優勝をおさめる!
当時、古賀市に住んでいた比江島慎選手でしたが「強いチームプレーがしたい」との思いから、福岡市の強豪校・百道中学校へと進学を希望します。
比江島選手は学区外の百道中へ進学する為、母・敦子さんに頼み込み、家族3人で福岡市へと引っ越したそうです。
百道中へ進学した比江島選手は6時半の電車に乗り登校。朝練と放課後の練習に明け暮れる毎日を送っていました。
中学時代もチームのエースとして活躍し、全国中学校バスケットボール大会では全国3位の成績を収め、2005年のジュニアオールスターの福岡県の選抜チームにも選出されます。
チームは優勝を果たすも比江島選手はベスト5に選ばれず「まだまだ上がいる」と悔しい思いをされたそうです。
当時から完成度が高く、注目選手となっていた比江島選手。
しかし、ジュニアオールスターのベスト5に選ばれなかったことを素直に受け止め、向上心を見せる姿は、とても謙虚で好感が持てますね!
伝説エピソード③ 文武両道を目指した高校時代 偏差値70超えの進学校へと進み、文武両道を見事に実現!「天才」と呼ばれ、チームをウインターカップ3連覇に導く
中学卒業後の進路は福岡県内の強豪校・福岡第一高校や福岡大学附属大濠高校かも誘いを受けるも、京都府の強豪校・洛南高校を選び、進学していきます。
洛南高校は偏差値70を超える進学校で、比江島選手はバスケだけでなく、勉学に力を入れて文武両道を目指していたそうです。
比江島選手は、文武両道の格好良さに惹かれ、洛南高校への進学を決めたそうです。
しかし、憧れだけでは偏差値70超えの進学校へは進むことは出来ません。
あまり語られてはいませんが、中学・高校と勉学にも一生懸命、取り組んでいた比江島選手の姿が目に浮かんできますね!
バスケ部に入部した比江島選手は、1年生の頃から試合に出場し、インターハイ準優勝。ウィンターカップ優勝にも大きく貢献しました。
また2年生で迎えたウインターカップでは、決勝戦で28得点を奪う大活躍を見せて優勝。
3年生の時のウインターカップも優勝し、能代工業以来、史上2校目となるウィンターカップ3連覇を果たしました。
1年生の頃からウィンターカップを経験し、2年生の頃にはエースとしてチームを牽引し続けていた比江島選手でしたが、3連覇が懸かったゲームでは極度のプレッシャーを感じていたそうです。
どれだけ「天才」と呼ばれ、活躍し続けている比江島選手でも当時はまだ高校生。
ウィンターカップ3連覇のプレッシャーは人一倍感じていたのかもしれません。
しかし、そのプレッシャーを乗り越え、優勝に導いた比江島選手は、当時からスーパースターだったと思います!
伝説エピソード④ 日本代表を目指した大学時代 あえて厳しい環境に身を置き、己を高め続けた比江島選手!インカレで2連覇を果たし、4年生の時に日本代表へ選出される!
高校卒業後、比江島選手は中高時代の先輩・橋本竜馬選手・辻直人選手がいる青山学院大学へと進学します。
先輩たちから「青学の練習はとにかく厳しい」と聞かされていたそうですが、比江島選手はあえて厳しい環境へ身を置き、バスケ一色の大学生活を送ることになります。
当時の青山学院大学バスケ部を指導していた長谷川健志さんは、比江島選手に大学時代からフル代表で活躍することを期待し、付きっ切りで指導にあたったそうです。
青学の厳しい練習の中でさらに実力を伸ばしていった比江島選手は、2010年(大学2年)・2011年(大学3年)のインカレで優勝を果たし、2012年(大学4年)には日本A代表に初選出されました。
2012年のインカレは惜しくも決勝で東海大学に敗れ、準優勝となってしまった青山学院大学でしたが、インカレ決勝後の打ち上げで比江島選手が「この借りは、日本をオリンピックへ連れてってやる!」との言葉を残しています。
引用元:青学TVスポーツ
11年後に借りを返し、見事2024年パリオリンピックへの出場を果たした比江島選手!
しかも日本の窮地を救い、オリンピック出場の立役者となりました!
まさに有言実行!格好良すぎますね!!
伝説エピソード⑤ スーパールーキーとして活躍した2013~2014年シーズン プロ入り1年目からNBL新人王を受賞し注目を集める!2013~2018シーズンまでアイシンシーホース三河の主力選手として活躍する!
大学卒業後の2013年4月、比江島選手はNBL・アイシンシーホース三河(現:シーホース三河)に入団します。
比江島選手は入団1年目から主力選手として活躍し、2013-2014年シーズンはNBLルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。
加入1年目から既にプロで通用する実力だった比江島選手!
新人賞を受賞し、世代No,1の実力を誇っていたことがわかりますね!
その後も活躍を続け、2015-2016シーズン・2016-2017シーズンは「シーズンベスト5」を受賞し、2017-2018シーズンは「シーズンベスト5」と「BリーグMVP」を受賞しています。
また、2016年第91回天皇杯全日本バスケットボール選手権大会では決勝でリンク栃木ブレックス(現:宇都宮ブレックス)に89-73の得点差で勝利し、2011年第86回大会以来の優勝を果たしました。
5シーズンをシーホース三河に在籍し、様々な経験を重ねた比江島選手でしたが、海外へ挑戦する為、シーホース三河を退団する決意を固めました。
ここから比江島選手の新たな挑戦が始まっていきます!
伝説エピソード⑥ 海外へ挑んだ2018-2019シーズン オーストラリアリーグNBL、アメリカNBAサマーリーグへ挑戦するも、自身の魅力をアピールできず、日本へ帰国する。
2018-2019シーズンの比江島選手はオーストラリアのプロバスケットボールリーグ「NBL」に挑戦。
8月2日よりブリスベン・ブレッツへ移籍した比江島選手は、日本代表のエースとして、どのような活躍を見せるか、日本バスケットボール界の期待を背負ってNBLへ挑んでいきました。
しかし現実は厳しく、わずか5カ月で退団を表明。チームを去ることとなります。
理由としては新たな選手がチームへ加入したことで、比江島選手がチームを離れることになったそうです。
18試合中3試合と出場機会にも恵まれなかった比江島選手。
しかし、チームを去る際には「素晴らしい出会いもあり素晴らしいチームでプレーでき、色んな経験をさせてもらえたことに感謝しています」と語っていました。
続いて2019年には「自分がどれだけ通用するか試したい」「ワールドカップ前にレベルの高い選手と戦いたい」との思いからアメリカ・NBAサマーリーグに挑戦。ニューオリンズ・ペリカンズの一員として出場を果たしました。
比江島選手は5試合中3試合に出場しましたが、得点を決めることが出来ず、本来の実力を発揮できないままサマーリーグを終えてしまいました。
ペリカンズに求められたのは「シューター」としての役割で、普段の比江島選手とは違うプレーだった為、結果を出すことが出来なかったようです。
比江島選手にとっても、悔しい経験になってしまったのではないでしょうか。
伝説エピソード⑦ 海外から戻り宇都宮ブレックスに加入、2019-2020シーズンをチームの主力選手として活躍し、FIBAバスケットボールワールドカップ2019に出場する!
海外挑戦を終え、帰国した比江島選手は海外挑戦を全面的にサポートしてくれた宇都宮ブレックスに合流し、2019-2020シーズンからプレーすることになります。
2019年はFIBAワールドカップ2019に日本代表の主力選手として出場するも、世界の壁に阻まれ、自身の実力を活かせず、チームも5連敗。目標としていた世界大会での勝利を挙げるが叶いませんでした。
2人のNBAプレイヤーを擁し、「史上最強の代表」と言われていた日本代表選手たちでしたが、世界の壁は高かったようです。
比江島選手も気持ちの切り替えが出来ず、チームを引っ張っていくようなプレーが発揮できなかった為、悔しい思いをされていたようです。
ワールドカップ後はチームに合流し、2020-2021シーズンは、怪我に見舞われていましたが、Bリーグ最高勝率に貢献し、Bリーグファイナルに出場しました。
宇都宮ブレックスのエースとして活躍し、チームを牽引する比江島選手。
海外や日本代表としての経験を活かして、ますます活躍していきそうですね!
伝説エピソード⑧ 世界に通用することが感じられた東京五輪 日本代表選手として45年ぶりのオリンピックに出場し、積極的にゴールを狙い続けた比江島選手!
2021年に開催された東京オリンピックでは、現役NBAプレイヤーの渡邊雄太選手・八村塁選手と共に選出され、日本代表チームは1次リーグC組で出場。スロベニア・スペイン・アルゼンチンと世界ランキングトップ10入りしている強豪国と対戦しました。
日本代表チームは健闘を見せるも、3試合とも敗北してしまい、出場国12ヵ国中11位。
大会を通して比江島選手は、平均得点7.7点と2019年に開催されたFIBAバスケットボールワールドカップ2019より成績を伸ばし、自分の持ち味を発揮し、積極的にゴールを狙い続けたことで、自分が世界に通用すると感じられたそうです。
世界の強豪国相手に果敢にゴールを狙いに行く比江島選手!
チームとしては結果は出せなかったものの、個人としては自信を取り戻すきっかけになったのではないでしょうか?
伝説エピソード⑨ 宇都宮ブレックスのエースとしてチームを優勝に導いた2021-2022シーズン 自身もBリーグ・チャンピオンシップMVPを獲得する!
2021-2022シーズンの宇都宮ブレックスは東地区での勝率を714とし、ワイルドカード枠としてチャンピオンシップトーナメントに進出。
チャンピオンシップトーナメントでは、決勝戦まで勝ち上がり、琉球ゴールデンキングスとの激戦を制して、2度目の年間チャンピオンの座に輝きました。
さらにシーズンを通し、エースとしてチームを牽引し続けた比江島選手は、チャンピオンシップMVPを受賞しました。
2021-2022シーズンの宇都宮ブレックスは比江島選手を中心としたチーム作りに取り組み、その期待に見事応えた比江島選手。
やりがいやプレッシャーを感じならも最高の結果でシーズンを終えられたことに非常に満足しているようでした!
伝説エピソード⑩ 日本中を熱くさせたFIBAバスケットワールドカップ2023 パリ五輪を目指し、全試合主力選手として出場した比江島選手!格上フィンランド・ベネゼエラを相手に2ケタ得点の大活躍を見せた!
2023年8月に開催されたFIBAバスケットボールワールドカップ2023に「AKATSUKI JAPAN」の一員として出場した比江島選手は歴史的快挙と言われるフィンランド戦とベネゼエラ戦で大活躍を見せます。
1次ラウンド・第2戦、フィンランドの強さに日本が圧倒されていた前半戦でしたが、苦しい時間帯に得点を重ねチームを鼓舞し続けていたのが比江島選手です。
3Pシュートや1on1の展開から積極的に仕掛け、前半で14得点を奪う活躍を見せます。
最大18点差の苦しい展開から第4Qで河村勇輝選手と富永啓生選手の活躍でチームは大逆転。98-88でワールドカップでは17年ぶりの勝利を掴みましたが、比江島選手の前半戦の活躍がなければ、結果は違っていたかもしれません。
試合全体の流れを把握し、苦しい時間帯の時ほど仕事をして、チームを盛り上げる比江島選手!
頼りになるベテランの強さを垣間見ました!
続く順位決定リーグで対戦したベネゼエラ戦。ベテラン選手が多く、卓越した技術で、じわじわと点差を広げていくベネゼエラ。
終盤の第4Qで残り8分で試合最大の15点差までリードを広げられてしまう苦しい展開でしたが、またもやこの窮地を救ったのが比江島選手です。
3Pシュートを連続で決めるなど第4Qだけで17得点を大活躍を見せ、フィンランド戦に続き大逆転勝利。
比江島選手は「日本の窮地を救ったヒーロー」として称賛されました。
続くカーボベルデ戦も勝利し、48年ぶりに自力でのオリンピック出場を果たしました。
ついに目標にしてた2024年パリ五輪への出場を果たした男子バスケットボール日本代表選手たち!歴史的快挙に日本中が歓喜に包まれましたね!
子供たちに夢を与え、バスケットボール人気の火付け役になった比江島選手
FIBAバスケットボールワールドカップ2023以降、日本ではバスケットボールに注目が集まり、人気が高まっています。
要因としては48年ぶり自力でのオリンピック出場を決めた男子バスケットボール日本代表選手・AKATSUKI JAPANの活躍がきっかけとなっていて、格上の強豪国と勇敢に戦う姿や2度の劇的な大逆転勝利など目を離さずにはいられないスーパープレイが連続が現在の人気に火をつけています。
特に比江島選手はベネゼエラ戦の絶体絶命のピンチから日本を救ったヒーローとして取り上げられ、ワールドカップ後もイベントやメディアなどに数多く出演し、積極的にバスケットボールの人気を広げているようです。
日本のバスケ人気の火付け役になった比江島選手!
比江島選手などAKATSUKI JAPANに憧れてバスケットボールを始める子供たちも急増しているようです!
まとめ
今回は、【画像39枚】比江島慎選手の伝説エピソード10選!幼少期や高校時代から天才だった!バスケエリートと呼ばれ続けた彼の軌跡とは!?と題しましてお届けさせて頂きました。
比江島慎選手は、子どもの頃からバスケットが本当に大好きで、直向きに楽しみながら練習や試合に取り組んでその実力を伸ばしていきました。
その結果、「比江島ステップ」が生まれ、小・中・高・大の全ての学生時代に全国制覇を経験し、海外挑戦やBリーグ・チャンピオンシップでの優勝、日本代表として48年ぶりのオリンピック出場など数々の功績を残し続けているバスケ界のエリートだということがわかりました。
Bリーグ選手として、日本代表選手としてバスケットボールの第一線で戦い続けている比江島慎選手が今後もますますご活躍されることを期待しています。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。