日本人2人目となるNBA(National Basketball Association)選手として、ご活躍されている渡邊雄太選手。
現在、NBAでのご活躍は5年目。来シーズンより「フェニックス・サンズ」に移籍され、2023年8月25日より開催されるFIBAバスケットボールワールドカップに出場し、1次リーグ2戦目・フィンランド戦では世界大会での連敗を11で止め、17年ぶり世界大会での勝利に貢献した日本を代表する選手です。
引用元:NBA Rakuten 【スター揃いのサンズ移籍!】渡邊雄太2022-2023シーズン ハイライト【NBA Rakuten】
今回は、渡邊雄太選手の子供の頃から思い描いていた「NBA選手になる」という夢が、現実になるまでの伝説エピソードをまとめさせて頂きました。
是非、最後までお楽しみ下さい。
- 渡邊雄太選手の伝説エピソード12選!を画像付きでご紹介!
- 伝説エピソード① 幼少期 母に連れられ練習を見学する日々。2歳で見様見真似の綺麗なシュートフォームを身に付けていた!
- 伝説エピソード② 小学1年生 自分の意志で母が指導するバスケチームに入団!本格的にバスケットボールを始める!
- 伝説エピソード③ 小学2年生 伝説の始まり!「NBAの選手になりたい!」と将来の目標を決め、父との猛特訓の日々が始まる!
- 伝説エピソード④ 小学高学年 練習すればするほど強くなるバスケットに楽しみを感じていた!
- 伝説エピソード⑤ 中学時代 成長痛に悩まされ、苦悩の日々。渡邊選手を見守り続けた1人目の恩師・平田コーチとの出会い。
- 伝説エピソード⑥ 高校時代 当時、無名の渡邊選手の才能をいち早く見抜いた2人目の恩師・色摩監督との出会い。
- 伝説エピソード⑦ 高校時代 才能が開花!チームを牽引し、ウィンターカップで2度の準優勝!当時最年少で日本代表選手にも選出される!
- 伝説エピソード⑧ 高校時代 「アメリカの大学へ進学or日本の大学」NBA選手になる為、大きな選択に迫られる!
- 伝説エピソード⑨ 大学時代 アメリカでは無名な渡邊選手。フレップスクールに通いながら実力を発揮し、NCAA・D1のチームから複数のオファーを獲得。
- 伝説エピソード⑩ 大学時代 Ⅾ1チーム:ジョージ・ワシントン大学へ進学。バスケと学業で努力の日々を送る。
- 伝説エピソード⑪ 大学時代 ルーキーシーズンから活躍し、最終シーズンでは絶対的エースの存在に!
- 伝説エピソード⑫ 大学卒業後、サマーリーグに参加し、メンフィス・グリズリーズから2WAY契約を勝ち取る!その後、念願のNBA試合出場を果たし、夢を叶える!
- 2023年8月25日より開催されるFIBAバスケットボールワールドカップに日本代表選手として出場予定
- まとめ
渡邊雄太選手の伝説エピソード12選!を画像付きでご紹介!

- 香川県 三木町立平井小学校
- 香川県 高松市立牟礼中学校
- 香川県 尽誠学園高等学校
- アメリカ ジョージ・ワシントン大学
- 2018-2020シーズン メンフィス・グリズリーズ(メンフィス・ハッスル)
- 2020-2022シーズン トロント・ラプターズ(2022-ラプターズ・905)
- 2022-2023シーズン ブルックリン・ネッツ
- 2023-2024シーズン フェニックス・サンズ
渡邊雄太選手は、日本リーグ「熊谷組」の選手・英幸さんと「ジャクソン化粧品」に所属し、元日本代表のキャプテンも務めた母・久美さん(旧姓・久保田)のご長男として誕生し、幼い頃からバスケットボールに触れる生活をされていました。
渡邊家はバスケ一家で、姉・夕貴さんもバスケットボール日本リーグWリーグで、アイシン・エィ・ダブリュに所属し、ご活躍されていました。
渡邊選手は乳児期の頃から、父母が所属するクラブチームに一緒に着いてきては、楽しそうにボールを転がして遊んでいたそうです。
そんな渡邊選手がバスケットボールを本格的に始めたのは小学1年生になってから。
お母様がコーチとして指導していた地元のスポーツ少年団「三木スポーツ少年団」に入団し、本格的にバスケットに打ち込むようになります。
小学2年生の時「NBAの選手になりたい」と口にしたそうで、渡邊選手はNBA選手への夢を叶えるべくく、父・英幸さんとの特訓の日々が始まります。
中学生時代には2年生の時、香川県選抜チームのメンバーとして、都道県対抗ジュニアバスケットの全国大会に出場し、高校はバスケットの強豪・尽誠学園高等学校へ進学。
2011年・2012年の全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会・通称「ウインターカップ」では、2年連続で準優勝という結果を残しています。
高校卒業後はNBAへの挑戦を掲げ、舞台をアメリカへ。
大学はジョージ・ワシントン大学に進学し、主力選手として活躍。
大学卒業後、ブルックリン・ネッツの一員としてサマーリーグに参加し、その活躍が認められ、メンフィス・グリズリーズとのツーウェイ契約を結びます。
そしてついに、2018-2019シーズン開幕後の5試合目。フェニックス・サンズ戦で初めてNBA選手され、試合に出場し、日本人2人目のNBAプレイヤーとなりました。

今回は渡邊雄太選手の幼少期からNBA選手になるまでの伝説エピソードを画像付きの早見表で、一挙にご紹介させて頂きます!
伝説エピソード① 幼少期 母に連れられ練習を見学する日々。2歳で見様見真似の綺麗なシュートフォームを身に付けていた!

渡邊雄太選手の幼少期時代は、ごく平均的な身長・体重。性格はとにかく人見知りで、泣き虫な子だったそうで、父親の英幸さんにさえ、1歳を超えるまで近寄らず、母親の久美さんが雄太選手のもとを離れるだけで大泣きだったそうです。

強靭なNBA選手たちと渡り合っている雄太選手の姿だけを見ていると意外なエピソードですね。これからたくさんの経験をして、強く大きく成長されていくんですね。
そのような幼少期を過ごしていた雄太少年でしたが、2歳児の頃、将来が予想されるような伝説エピソードがあります。
当時、渡邊家には小さなリングがあったそうで、雄太少年はリングに向かってシュートを打っていたそうです。その姿は聞き手の左脇がしっかり締まっていて、綺麗なフォームだったそうで、父・英幸さんもびっくりしていた。
父・英幸さんは当時を振り返り、「特にシュートを教えたことはなかったので、ああ、子どもって親の姿をみているんだな」と思ったそうです。
またその時「将来、バスケをやってくれたらいいなぁと思いましたね」と語っていました。
伝説エピソード② 小学1年生 自分の意志で母が指導するバスケチームに入団!本格的にバスケットボールを始める!

幼少期からバスケットボールに触れ合う生活をしていた渡邊雄太選手ですが、競技として本格的に始めたのは小学校に入学してからになります。
母・久美さんと週に3回の練習には、いつも一緒に来ていたそうですが、まだ小さいので練習に参加はできなかった雄太少年。
小学校に上がり雄太少年は、自らの意志で「ボクもやりたい」と母・久美さんに伝えたそうです。
その後、母・久美さんが指導するスポーツ少年団「三木スポーツ少年団」に入団して、雄太選手のバスケット人生がスタートします。
伝説エピソード③ 小学2年生 伝説の始まり!「NBAの選手になりたい!」と将来の目標を決め、父との猛特訓の日々が始まる!

渡邊雄太選手がNBAを目指すきっかけになったのは、小学2年生の頃だそうです。
当時、父・英幸さんがNBAの試合をテレビ中継で観戦していたそうで、雄太少年が「何を見ているんだろ」と何気なく、父の傍に座り観たのがロサンゼルス・レイカーズの試合。
その試合中継を見て雄太少年は「こんなすごい世界があるのか!」と衝撃を受けたそうです。
中でもコービー・ブライアントのプレーに釘付けになり、自身も「将来、NBA選手になりたい」と両親に伝えたそうです。
そしてその翌日から父との猛特訓の日々が始まります。
特訓は毎日、朝の5時半に起き、近くの小学校で毎朝6時から1時間。
練習内容は小学校の校庭でランニングやドリブル。電柱に向かってのシュートといった基礎練習を繰り返し、父との1対1を挑み続けました。
雨の日以外は、そのような体力と基礎技術を身に付ける練習を、ほぼ毎日続けていたそうです。

渡邊雄太選手は、小学生の頃から練習を休んだことがなく、将来の夢の為に日々、努力を欠かさなかったそうです。
猛特訓エピソードとして、中学生時代の1日1,000本を成功させるまで、練習を続けたことがあるそうです。
当然ですが1,000本シュートを放って、全て入るわけではないのでそれ以上の本数を放ち続けなくてはなりません。
現に雄太少年も1日、1,300本は打っていたそうです。
4時間ぐらいかかる練習で、本当にしんどい練習だったそうですが、雄太少年は将来の目標の為、日々努力を続けたそうです。

少年時代から続けた1日1日の努力が、将来日本人2人目のNBA選手という偉業を成し遂げる結果に繋がったんですね。夢を追い続ける姿勢、毎日努力をし続ける心の強さは本当に素晴らしいです。
伝説エピソード④ 小学高学年 練習すればするほど強くなるバスケットに楽しみを感じていた!

渡邊雄太選手は、本格的に試合に出始めたのは小学4年生以降になってから。
小学1年生から3年生の頃までは、試合への出場経験は少なかったようです。
試合に出場する機会が増えていった雄太少年は、「練習はやればやれるだけ強くなる」「バスケットボールが楽しい」と感じていたそうで、「練習は休んだことはなく、将来の夢のために日々努力を欠かさなかった」と父・英幸さんもお話しされていました。
その後、日々努力を継続し、小学6年生の頃にはチームのエースとして成長。県大会優勝へと導きます。
その後小学校卒業の日、10年後の自分へ向けて送ったタイムカプセルには、夢の実現を信じてる当時の雄太少年の想いが込められています。

その後、夢を抱き続けた雄太少年は父・英幸さんの母校・牟礼中学校へ進学していきます。
伝説エピソード⑤ 中学時代 成長痛に悩まされ、苦悩の日々。渡邊選手を見守り続けた1人目の恩師・平田コーチとの出会い。

渡邊雄太選手の中学校進学は、地元の三木中学校ではなく、父・英幸さんの母校で外部コーチ・平田久幸さんも指導に当たっていた隣町の牟礼中学校へと進学していきます。
ここで出会うことになる1人目の恩師・平田コーチが将来、NBAで活躍することになる渡邊雄太選手に大きな影響をあたえることになります。

中学校へ進学後の雄太少年は、急激に身長が伸びて、激しい成長痛に悩まされ、思うようにプレーが出来なくなってしまいました。
そして、自分は痛みで思うようなプレーが出来ない中、周りの選手はどんどん練習をして上達していく。
中学生の雄太少年は、この状況に「焦り」を感じていたそうです。
しかし、指導に当たっていた平田コーチは、雄太少年の焦りを理解しつつも、厳しい練習への参加を認めませんでした。
「お前の未来はもっと先にあるはず。だから今のこの大会に出場できなかったことを悲観する必要はない」と雄太少年に伝えたそうです。
平田コーチの指導方針もあり、思うように練習が出来なかった中学時代の渡邊雄太選手は、無名選手として日々を過ごすことになります。
しかし、雄太選手のご両親は平田コーチの行動について、とても感謝していて、渡邊雄太選手自身も「現在、好きなだけ練習に打ち込める身体でいられる大きな理由」と語っていて、平田コーチに感謝しているそうです。

平田コーチは選手の未来を考えて行動できるとても優秀な指導者だそうです。当時の平田コーチの判断が違っていて、渡邊雄太選手に無理をさせていたら、NBA選手になるという目標をどこかで諦めることになっていたかもしれませんね。
伝説エピソード⑥ 高校時代 当時、無名の渡邊選手の才能をいち早く見抜いた2人目の恩師・色摩監督との出会い。

渡邊雄太選手の中学時代は成長痛に悩まされ、思うような活躍ができなかった為、高校バスケの強豪校からのオファーはほとんどなかったようです。
その為、渡邊選手は自力で進学を勝ち取る為に福井県の強豪校へセレクションを受けに行きましたが、結果は不合格。
悔しさのあまり泣きながら香川県に帰ったそうです。
その後、母・久美さんの勧めで地元・尽誠学園高等学校へと進学していきます。

尽誠学園は、現在では高校バスケの全国強豪校として有名ですが、当時はまだバスケットボールに力を入れ始めたばかりで無名な高校だったようです。
進学した尽誠学園で渡邊雄太選手は2人目の恩師となる色摩拓也監督と出会います。

色摩監督は渡邊選手の才能にいち早く気付き、声をかけたそうです。
身長2m近い選手は通常、ポストプレーを中心に指導し、ゴール下での起用をする指導者が多い中、色摩監督は渡邊選手のしなやかさ・フットワーク・ボールハンドリングの技術の高さに着目し、型にはめずオールラウンダーとして指導していきます。
渡邊選手の現在のプレイスタイルも、色摩監督の指導が大きな影響を与えているようです。

近代のバスケットでは、大型の選手でも全てのポジションをこなす選手が増えてきましたが、当時はまだ、ゴール下での起用が主流になっていましたので、渡邊選手の指導と起用法は、色摩監督がいかに時代の先をよく見ていたかが伺えますね。
高校生になり、成長痛が収まった渡邊選手は、思うような練習に打ち込めるようになっていき、どんどん成長していきます。
伝説エピソード⑦ 高校時代 才能が開花!チームを牽引し、ウィンターカップで2度の準優勝!当時最年少で日本代表選手にも選出される!

渡邊雄太選手の才能が発揮されたのは高校2年生、2011年のウインターカップです。
当時、尽誠学園はノーシード校として出場し、渡邊選手もまだ無名選手でしたが、全国区の強豪校・福岡第一・洛南・沼津中央を次々と倒して決勝の舞台に駒を進めました。
決勝の相手は現在Bリーグでご活躍しているベンドラメ礼生選手率いる延岡学園。
試合は惜しくも敗れてしまいますが、この大会をきっかけに渡邊選手の名は全国に轟くことになりました。
さらにその活躍が認められ、当時最年少でウィリアム・ジョーンズ・カップの日本代表選手として出場されました。

高校3年生、2012年のウインターカップでは、今度こそ優勝を目指し勝ち抜き続け、今大会も決勝の相手は宿敵・延岡学園。
渡邊選手はポイントガードもこなせるオールラウンダーとして出場し、チームを牽引する活躍をしますが66-68と惜しくも敗れてしましました。

高校生最後の大会で悔しい結果になってしまいましたが、2年連続ウィンターカップ準優勝という輝かしい結果を残しました。
伝説エピソード⑧ 高校時代 「アメリカの大学へ進学or日本の大学」NBA選手になる為、大きな選択に迫られる!

渡邊雄太選手は高校卒業後の進路について大きな選択を迫られることになります。
それは日本の大学に進学するかアメリカの大学へ進学するか。
日本の大学に進学を選択すれば、結果を出している渡邊選手は大切に育成され、プレー時間もしっかりと確保できます。
一方、アメリカの大学を選択すれば、日本での功績とは無関係なので、アメリカで実力を示さなければコートにすら立つことはかないません。
当時の渡邊選手は日本代表選手として海外の選手と戦った経験から、将来の夢「NBA選手になる」為に海外志向を強めていましたが、周囲には反対意見も多く、アメリカへの挑戦はまだ早いのではないかと悩んでいました。
そんな中、日本人初のNBAプレイヤーとして活躍した田臥勇太選手が渡邊選手のアメリカ留学に対し、「アメリカに行く決断は間違っていません。絶対に行った方がいいです」と力強く背中を押してくれたそうです。

この言葉を聞いてからの渡邊選手は、周囲のネガティブな言葉は全く気にならなくなり、アメリカの大学へと進学していきます。
伝説エピソード⑨ 大学時代 アメリカでは無名な渡邊選手。フレップスクールに通いながら実力を発揮し、NCAA・D1のチームから複数のオファーを獲得。

高校卒業して単身アメリカへと渡った渡邊雄太選手ですが、世界大会ではまだ無名選手の為、アメリカの大学からのオファーはありませんでした。
NCAA・D1(ディビジョン・ワン)の大学への進学を目指し、渡米後はフレップスクール(大学に行くために通う予備校のような場所)のセント・トーマス・モア高校に入学します。
フレップスクールでは、語学を学びつつチームの一員として活躍。
ナショナルプレップチャンピオンシップでは準優勝に大きく貢献し、オールファーストチームに選出されました。
渡邊選手は外国人選手にも引けを取らない体格を持ち、持ち前の力を存分に発揮していたそうです。
その後、シーズン中の活躍が認められ、NCAA・D1のチームから複数のオファーを頂いた中から、ジョージ・ワシントン大学を選択し進学。
当初、目標にしていたNCAA・D1の大学への進学を勝ち取りました。
伝説エピソード⑩ 大学時代 Ⅾ1チーム:ジョージ・ワシントン大学へ進学。バスケと学業で努力の日々を送る。

ジョージ・ワシントン大学に入学した渡邊雄太選手ですが、学業で大きな壁が待ち構えていました。
というのも、ジョージ・ワシントン大学は、非常に学力が高い学校で、NCAAは学業にも力を入れている為、一定の学力を収めなければ練習にすら参加ができません。
レベルの高い英語の授業を受け、英語でテストを答えなくてはならない。
日本人の渡邊選手にとって大きな試練となりましたが、常に英語辞書を持ち歩き、持ち前の努力で学業でも好成績を収めていきました。

文字も言葉も日本にいた頃とはまるで違う環境の中、渡邊選手はバスケ以外にもたくさんの努力をされていたんですね。
一方、バスケットボールはD1のルーキーシーズンから出場し、活躍していきます。
代表的な活躍として、ダイヤモンドヘッド・クラシックに出場したジョージ・ワシントン大学は決勝戦まで勝ち進み、格上の相手に苦戦する中、渡邊選手の3Pシュートで逆転し、優勝します。

渡邊選手は高校時代、ウィンターカップで決勝戦で2度優勝を逃していることから、この大会での優勝は今後の大きな自信に繋がったそうです。
伝説エピソード⑪ 大学時代 ルーキーシーズンから活躍し、最終シーズンでは絶対的エースの存在に!

渡邊雄太選手は2年生・3年生シーズンと様々な苦戦を強いられながらも成長し、4年生シーズンにはチームの絶対的エースとして活躍されます。
チームの3人のキャプテンのうち1人に就任し、得点・リバウンド・ブロック数はチーム内1位と成長を重ねていた渡邊選手ですが、最終戦で怪我をしてしまい、NCAAトーナメントには出場することができなかったそうです。
しかし、ジョージ・ワシントン大学が称するA10(アトランティック・10)では最優秀守備選手賞を受賞し、大学のキャリアを締めくくりました。

伝説エピソード⑫ 大学卒業後、サマーリーグに参加し、メンフィス・グリズリーズから2WAY契約を勝ち取る!その後、念願のNBA試合出場を果たし、夢を叶える!

大学卒業した渡邊雄太選手は、NBAグローバルキャンプやワークアウトに参加してドラフト指名を待ちましたが、指名はなかったそうです。
その後、NBAサマーリーグにブルックリン・ネッツの一員として参加し、1試合平均24分出場・9.4得点・4.2リバウンド・1.6ブロックの活躍を見せ、自身の実力を発揮。
その活躍が認められNBAチーム、メンフィス・グリズリーズから2WAY契約のオファーが来て、渡邊選手は契約を結びます。
そしてついに2018-2019シーズン開幕後の10月27日、チーム5試合目のフェニックス・サンズ戦で初めてNBA選手登録されて、試合に出場。
ついに幼い頃からの夢を叶え、2人目の日本人NBAプレイヤーとなりました。

その後の渡邊選手は活躍を続け、現在もNBAプレイヤーとして活躍し、たくさんの人に夢を与え続けています。
2023年8月25日より開催されるFIBAバスケットボールワールドカップに日本代表選手として出場予定

渡邊雄太選手は、東京オリンピックなど様々な国際大会に日本代表として出場されていますが、2023年8月25日より開催のFIBAバスケットボールワールドカップの日本代表候補選手として選出されています。
同じNBAプレイヤーの八村塁選手はNBAの来季契約やコンディショニングなどの意向で出場を見送っていますが、渡邊雄太選手は自身のTwitterにて「先に言っとくけど俺は出る。でも出ない判断をしたルイの気持ちもめちゃくちゃわかる」とコメントを出しています。

ワールドカップ出場を明言されている渡邊選手。日本代表選手としてのご活躍が楽しみですね!
追記:渡邊雄太選手はFIBAバスケットボールワールドカップ2023に出場され、1次リーグ2戦目、日本代表選手たちは98-88でフィンランドに勝利!世界大会での連敗を11で止め、17年ぶりの勝利を収めました!
引用元:DAZN Japan 【日本×フィンランド|ハイライト】FIBAバスケットワールドカップ2023

ついに長年の悲願を達成したバスケ日本代表選手の皆さん!本当におめでとうございます!
まとめ
今回は、【画像36枚】渡邊雄太選手の若い頃の伝説エピソード12選!子供の頃から夢はNBA選手!幼少期や学生時代の活躍を徹底解説!と題しましてお届けさせて頂きました。
渡邊雄太選手は、幼い頃から両親がバスケットボールをする姿を見て育ち、小学2年生の頃に憧れた夢を追い続け、努力に努力を重ね、夢を実現させていることがわかりました。
現在もNBA選手として、日本代表選手としてバスケットボールの第一線で戦い続けている渡邊雄太選手が今後もますますご活躍されることを期待しています。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。