男子バスケットボール「Bリーグ」でご活躍されている富樫勇樹選手。
現在の所属チーム「千葉ジェッツふなばし」のシーズンキャプテンを務め、2023年8月25日より開幕されるFIBAバスケットボールワールドカップにも出場し、1次リーグ2戦目・フィンランド戦では世界大会での連敗を11で止め、17年ぶりの世界大会での勝利に貢献した日本を代表する選手です。
引用元:千葉ジェッツ公式YouTubeジェッツチャンネル 【富樫が吼えた!】ここぞという場面で決めきる男のスーパープレイ雄叫び集【富樫勇樹】
今回は、富樫勇樹選手の若い頃を振り返り、幼少期より頭角を現していた伝説のエピソードをまとめさせて頂きました。
是非、最後までお楽しみ下さい。
- 富樫勇樹選手の伝説エピソード11選!画像付きでご紹介!
- 伝説エピソード① 幼少期 まだミルクを飲んでいた頃から室内用ゴールをめがけてボールを投げていた!
- 伝説エピソード② 幼少期 飽きずにずっと試合を観ていられる子だった!
- 伝説エピソード③ 小学1年生 既にドリブルテクニックが凄かった!
- 伝説エピソード④ 小学4年生 既に「別格」の存在だった富樫勇樹選手
- 伝説エピソード⑤ 小学4年生 英樹さんのアドバイスで「フローターシュート」を身につける
- 伝説エピソード⑥ 中学3年生 地元新潟開催の全中で優勝!同校入学当初からすでにチームの中心選手だった!
- 伝説エピソード⑦ 高校生時代 より高いレベルを求め、単身アメリカへ留学!
- 伝説エピソード⑧ 秋田ノーザンハピネッツ時代 名将・中村和雄監督の下で、選手としてのスタイルと方向性を築く
- 伝説エピソード⑨ テキサス・レジェンズ(NBA Dリーグ)時代 NBAへの挑戦の為、再びアメリカへ
- 伝説エピソード⑩ 千葉ジェッツふなばし所属 同チームのエースとして活躍。司令塔としてチームを牽引する。
- 伝説エピソード⑪ 男子バスケットボール日本代表 2023年8月25日より開催されるFIBAワールドカップにて再び世界の舞台へ
- まとめ
富樫勇樹選手の伝説エピソード11選!画像付きでご紹介!

- 小学校:新潟県新発田市立東豊小学校
- 中学校:新潟県新発田市立本丸中学校
- 高等学校:アメリカ モントロス・クリスチャン高校
- bjリーグ:秋田ノーザンハピネッツ
- NBA Ⅾリーグ:テキサス・レジェンズ
- Bリーグ:千葉ジェッツふなばし
富樫勇樹選手はバスケット界の名将・富樫英樹監督(現:開志国際高校バスケットボール部総監督)の長男として、幼少期からバスケットに触れる生活をされていたそうです。
幼少期から数々の逸話を残している富樫勇樹選手ですが、バスケットボールを始めたのは、小学1年生になってから。
もともとバスケットボールをやっていたご両親に連れられ練習を見に行き、自然な流れで英樹さんが監督をしていたミニバスチーム「新発田キッズ」に入部。
チームには高学年の子も多い中、すでにドリブルやボールさばきはひけをとらなかったそうです。

既に様々なドリブルのテクニックが出来たそうです!さすが富樫選手!
中学時代には全国制覇を達成し、高校はアメリカへ留学、NBAへの挑戦など「より高いレベル」の環境への挑戦を続け、現在はBリーグの強豪「千葉ジェッツふなばし」に所属しています。
千葉ジェッツふなばしでは「PG(ポイントガード)」として活躍。
チームの司令塔として、常にゲームをコントロールし、チームを勝利に導いている富樫勇樹選手。
今回は富樫勇樹選手の幼少期からの伝説エピソードを画像付きで早見表にしてみました。

富樫勇樹選手の伝説エピソードを画像付きの早見表で、一挙にご紹介させて頂きます!
伝説エピソード① 幼少期 まだミルクを飲んでいた頃から室内用ゴールをめがけてボールを投げていた!

富樫勇樹選手はご両親ともバスケット経験のある「バスケ一家」の長男として、新潟県新発田市で誕生しました。
勇樹選手の父英樹さんは、U-16日本代表監督や中学校・高校の指導者として何度も日本一に導いている日本を代表する指導者です。
バスケットボールの指導者として有名な英樹さんは、勇樹選手の幼少期のエピソードとしてこう語っています。

おむつをつけている時からシュート練習をしてたよ。
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なんと勇樹選手はまだおむつを履いている頃から、室内用のゴールをめがけてボールを投げていたそうです。

えっ!まだそんなに幼い頃から⁉
まさにバスケットボールの「神童」ですね!
しかも当時から感性がズバ抜けていて、シュートを打つ姿はワンハンドフォーム。
そして、ゴールによく入る。
と英樹さんは勇樹選手の幼い頃を語っていらっしゃいました。
さらにボールを床に打ち付けてドリブルもされていたそうです。
最初は大きいボールを床に打ち付けていたが、衝撃でうるさかった為、小さく柔らかいボールに変えたが、上手にドリブルをしていたとのこと。

大きく硬いボールだと、弾むのでドリブルがしやすいですが、小さく柔らかいと弾まない為、扱いが難しい。それでも勇樹選手は上手にボールコントロールをしていたそうです。
伝説エピソード② 幼少期 飽きずにずっと試合を観ていられる子だった!

富樫勇樹選手は幼い頃からバスケットボールの試合を、テレビでずっと観ていたそうです。
普通の子供では、飽きてしまうのが当たり前ですよね。
そんな中、勇樹選手はまわりの大人が感心してしますほど熱中して観ていたようです。

保育園の頃からバスケの試合を観ていたそうですが、そんなに幼い時期から集中して観ていられるなんて凄い!
当時、英樹さんが自宅でビデオを見てながら試合の研究をしていると、一緒に画面を見つめていたり、バスケ関係者と談笑している会話を、勇樹選手も自然と耳にしていたそうです。

人とはほとんど話さない子だったけど、人の話を素直に聞く耳、人の行動を観察する目は小さな頃から持っていましたね。
勇樹選手の持ち前のズバ抜けた感性とバスケセンスは、この頃から既に身に付いていたのかもしれませんね。
伝説エピソード③ 小学1年生 既にドリブルテクニックが凄かった!

富樫勇樹選手がバスケットボールを本格的に始めたのは小学1年生の時で、バスケをしていたご両親に連れられ、練習を見に行き、3つ年上の姉(早紀さん)がミニバスを始めたのと一緒に自然な流れで入団していたそうです。

いざ、バスケットボールを持った息子を見て、英樹さんは衝撃を受けることになります。

上手い!
当時、勇樹選手が入団したのは英樹さんが監督をしていたミニバスチーム「新発田キッズ」。
チームには高学年の児童も多い中、すでにドリブルやボール捌きはひけを取らなかったと語っています。
英樹さんはインタビューで、「小1でドリブルは全部出来たと聞いたのですが?」という質問に対し、当時を振り返りながら

全部出来た!出来なかったのは靴ヒモだけが結べなかった。
と答えています。

小学1年生でドリブルができるだけでも凄いのに、既にさまざまなテクニックが出来るようになっていたなんてビックリです!
現在のキレと多彩なテクニックを駆使したドリブルは、小学1年生の時からその片鱗が表れていたのかもしれませんね。
伝説エピソード④ 小学4年生 既に「別格」の存在だった富樫勇樹選手

富樫勇樹選手はインタビューに対して、

小学3年生までは、単純にバスケットボールを楽しんでいました。のめり込むようになったのは、小学4年生になってからです。強いチームだったので、試合に絡むことになってからは「全国大会に出る」ことを目標に頑張っていました。
と語っています。
当時の勇樹選手は、試合に出場し始めると、司令塔のポイントガードとして活躍されていたそうです。
引用:THE ANSWER
英樹さんは当時、勇樹選手が体格差のある6年生とも競り合いをしてもミスしたり、ボールを取られたりしたことが記憶の中ではないと語っています。
指導者目線でしか見ていなかったが、時々「ん?あれ?」と思うことはあった。
しかし小学4年生とき、とある中学の仲間の先生と試合を見に行き、「別格」が確信に変わったそうです。
勇樹選手はその後もチームの中心として活躍し、小学5年生のときには、目標だった全国大会に出場されています。
伝説エピソード⑤ 小学4年生 英樹さんのアドバイスで「フローターシュート」を身につける

富樫勇樹選手の得意技のひとつに「フローター」というシュートがあります。
フローターシュートとは、飛び上がりながら「フワッと」ボールを放ちながら打つシュートのひとつ。
高いループを描き、ブロックをかわすようにゴールを射抜くことができるのが特徴です。
引用:千葉ジェッツ公式YouTudeジェッツチャンネル

自分より大きい選手相手に華麗な技でゴールを決める富樫選手!カッコいいですね。
富樫勇樹選手がフローターシュートを身につけるようになったきっかけは小学4年生の時です。
バスケット指導者でもある英樹さんから自分より身長が大きい選手を相手にするなら、

ドリブルで切り抜けられるのだから、あとはシュートが必要だ。フワッと浮かせて打ってみたらどうだ。
というアドバイスを素直に受け入れ、自分より大きい選手の上をフワッとループを描くようなフローターシュートを身につけていきます。
英樹さんが、勇樹選手の小学生時代にアドバイスをしたのはこの時ぐらいだそうで、特に手取り足取り教えたりはしていないと語っています。
伝説エピソード⑥ 中学3年生 地元新潟開催の全中で優勝!同校入学当初からすでにチームの中心選手だった!

富樫勇樹選手の中学生時代は、当時英樹さんが指導していた新潟県新発田市立本丸中学校へ、進学します。
本丸中への進学は指導者である英樹さんからのアプローチではなく、勇樹選手自らの意志で「本丸中に行きたい」と伝えたそうです。
勇樹選手の意志に対し、英樹さんは「勉強をしっかりやること、掃除をすること」を条件に学区変更を認め、ついに富樫親子が同じチームで日本一を目指し、戦っていくことになります。

英樹さんの進学の条件には、勇樹選手に中学生としての本分を、しっかりまっとうして欲しいという思いが込められていますね。教員としての願いや父親としてのあたたかい愛情を感じます。
同校は全国区の強豪バスケ部でしたが、勇樹選手は入学してすぐにチームの中心選手になってしまったそうです。
当時の本丸中は攻防に隙がなく、連携が光るチームでしたが、軸となっていたのは勇樹選手の司令塔としてのゲームコントロール。
ゲーム中は驚くような感性と緩急をつけたゲームメイクで相手チームを翻弄。
鋭いパスでのアシストや多彩なテクニックでゴールを決めたり、絶対的なエースとして活躍されていました。

ゲーム中、人と見ているところが違うので驚くような展開が生まれる。この感性は教えて身に付くものではありません。
と英樹さんは当時から語っていたそうです。
- 中学1年生 全国中学校バスケットボール大会(以下全中)ベスト4
- 中学2年生 全中ベスト4・U-15日本代表選手に選出
- 中学3年生 全国優勝・U-16日本代表選手に選出
富樫勇樹選手は中学3年生の夏、地元新潟県開催の全中でついに全国制覇を達成します。
決勝戦の相手は田渡凌選手(現:熊本ヴォルターズ所属)を擁した強豪京北中学校。
この決勝戦は「伝説と言われた決勝戦」として有名です。

この激闘の試合では勇樹選手は、ドンピシャのタイミングでループパスでゴールをアシストしたり、鋭いドリブルからシュートを決めたりと大活躍。
エースとして36得点の上げ、チームを勝利へ導きました。

(下段:一番左が富樫英樹監督・一番右が富樫勇樹選手)

ミニバス時代からの仲間たちと、一緒に日本一を目指してきた富樫勇樹選手。地元新潟開催での優勝、おめでとうございます!
また、勇樹選手は中学2年生・3年生と世代別の代表選手に選出され、日本代表としても活躍されました。
伝説エピソード⑦ 高校生時代 より高いレベルを求め、単身アメリカへ留学!

富樫勇樹選手は中学卒業後の進路を「より高いレベルでバスケットをやりたい」と考えていたところ、名将・中村和雄監督の後押しもあり、アメリカへの留学を決意します。
進学したのはアメリカ・メインランド州ロッキービルにあるモントロス・クリスチャン高校。
モントロス・クリスチャン高校は、卒業生後には多数のNBA選手を輩出しているアメリカの強豪校です。
アメリカのバスケットを見た第一印象は「やっぱりすごいな」と感じたそうです。
富樫勇樹選手は、1年生の時からロスター入りをし、2年生になることろにはスタメンとして起用されることも増え、同チームのシックスマンとして活躍していきます。

同校は富樫勇樹選手が在学中、全米ランキング2位に入りを果たしていました。
富樫勇樹選手は、高校時代アメリカでプレーした経験を、

バスケに関して、あの年代でアメリカを経験できたことは、今の自分の素地に間違いなくなっている。
と語っています。
アメリカへ渡ってからの勇樹選手の変化について、父英樹さんは、

もともとシャイで口数が少なかったが、アメリカへ行って、日本語をよくしゃべるようになった。
と話されています。
勇樹選手自身も、以前はシャイでインタビューにも、ほとんどしゃべれない性格だったが、アメリカへ行って性格がポジティブになり、明るくなったと語っています。

高校生時代アメリカでの経験が、今の富樫勇樹選手の活躍にも繋がっているんですね。
2011年には日本代表選手にも選出され、ウィリアム・ジョーンズ・カップに、チームの一員として出場されました。

伝説エピソード⑧ 秋田ノーザンハピネッツ時代 名将・中村和雄監督の下で、選手としてのスタイルと方向性を築く

富樫勇樹選手は高校卒業後は、帰国してからは中村和雄監督率いるbjリーグ秋田ノーザンハピネッツに入団することになります。
富樫選手は当時を振り返り、中村和雄監督の指導はとても厳しく、ダメなプレーは徹底的に指摘された。
「チビが点を取れなきゃ、いる意味ないだろ!」と怒鳴られていたが、おかげで自分を真に見つめ直すことが出来、選手としてのスタイルと方向性を築くことが出来たと語っています。
中村和雄監督の指導の下、富樫選手は同チームで1年目から活躍し、bjリーグ新人賞も獲得しました。
伝説エピソード⑨ テキサス・レジェンズ(NBA Dリーグ)時代 NBAへの挑戦の為、再びアメリカへ

富樫選手は2013-2014年シーズン終了後、1年半プレーした秋田ノーザンハピネッツを退団。
NBAに挑戦する為日本を離れ、再びアメリカへ向かいます。
アメリカでは、NBAの登竜門となるサマーリーグ挑戦。
ダラス・マーベリックスの一員として活躍し、その結果が認められ、テキサス・レジェンズ(NBA Ⅾリーグ)で1年間プレーされました。
富樫選手はその時の経験について

NBAの下部組織ですが、そこでプレー出来たことは何にも変えられない素晴らしい経験だった。
と語っています。
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このNBA・Ⅾリーグでプレーした経験が、今の富樫勇樹選手の力の一端を担っているというわけですね。
伝説エピソード⑩ 千葉ジェッツふなばし所属 同チームのエースとして活躍。司令塔としてチームを牽引する。

富樫勇樹選手は2015年9月に現在の所属チーム「千葉ジェッツふなばし」に、島田慎二前会長の熱烈なアプローチを受け、入団します。
島田前会長は、バスケットにとても熱い方で、富樫選手と同じ新潟県出身だったということもあり、熱心に誘ったそうです。
入団してから1年目、試合に出れなかった時期も富樫選手を気遣って度々、食事に誘ってくださったと語っています。
富樫選手は島田前会長の優しさと思いやりにプレーで応えるんだと誓ったそうです。

島田前会長と富樫選手の熱い絆が伺えます。素敵ですね。
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その後、富樫選手は同チームのエースとして活躍。
2016年-2021年のレギュラーシーズンベストファイブに選ばれ続け、シーズンMVP、アシスト王など様々な功績を残しています。
2022年-2023年もシーズンキャプテンを務め、B1歴代最多となる24連勝を成し遂げる快挙と驚異の勝率でB1・東地区優勝を飾りました。

伝説エピソード⑪ 男子バスケットボール日本代表 2023年8月25日より開催されるFIBAワールドカップにて再び世界の舞台へ

富樫勇樹選手は「FIBAバスケットボールワールドカップ2023アジア地区予選」Window6に、日本代表メンバーとして選出され、同時にキャプテンとして、代表チームをまとめています。
日本代表はこれまで、世界大会での勝利が出来ていない為、キャプテンの富樫選手はチームとして世界でまず1勝出来るよう目標を語っていました。
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2023年8月25日より開催される「FIBAバスケットボールワールドカップ2023」に出場が決定している日本代表チーム。
富樫勇樹選手を始め、代表選手全員の活躍にも期待したいですね。
追記:バスケットボール男子日本代表はFIBAバスケットボールワールドカップ2023・1次リーグ2戦目・フィンランド戦にて、98-88で世界大会での17年ぶりの勝利を収めました!
引用元:DAZN Japan 【日本×フィンランド|ハイライト】FIBAバスケットワールドカップ2023

ついに長年の悲願を達成したバスケ日本代表選手の皆さん!本当におめでとうございます!!
まとめ
今回は、【画像37枚】富樫勇樹選手の若い頃の伝説エピソード11選!子供の頃から別格だった!幼少期や学生時代の活躍を徹底解説!と題しましてお届けさせて頂きました。
富樫勇樹選手は、幼少期の頃からバスケットボールに触れ、小学生に入学する頃にはすでに別格の存在になっていたこと。
学生時代から様々なチャレンジをし、Bリーグでも努力をし続けながら第一線で戦っていることがわかりました。
富樫勇樹選手の今後もますますご活躍されること期待しています。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。